10年、どうすごしていましたか?
人生はハードでしたか?
なんとか生きていましたか?
この10年間は、あなたにとって、どんな10年でしたか?

僕はなんとか生きてきました。
そして、10年前の思いを実現しようと、封印を解除しました。

年を重ねて来た自分達の人生を描きたいという思いと、
今を生きてるという現実を描きたいという気持ちと、
10年ぶりにメンバーと芝居を創りたいという熱意とともに、
公演をやろうと決めました。

そして、もうひとつ大切なお知らせ。
どんな芝居をやろうかメンバーと相談している中で、この公演をひとつの区切りにしようという思いが固まりました。
今回の芝居は、封印解除であり、同時に解散公演になります。

ずっと第三舞台を見てくれているあなたへ。
そして、初めて第三舞台を見るというあなたへ。

30年前の旗揚げの時から、僕は第三舞台についてこう言っています。

『第三舞台は変わらない。そして、変わり続ける。』

最後の第三舞台になります。よろしければ劇場でお会いしましょう。


鴻上尚史

「まず第一舞台がありまして、それはスタッフとキャストが力を合わせた舞台のこと。第二舞台は観客席。第三舞台は、第一と第二の舞台が共有する幻の舞台。劇団の自己満足に終わらず、お客さんが付き合いで来ているだけでもない、最上の形で共有する舞台、ということで第三舞台と名付けました。(鴻上尚史/早稲田演劇新聞1981.VOL7)」

1981年早稲田大学演劇研究会で、旗揚げ。スピード感あふれるセリフ回しと場面転換、社会への鋭い風刺とそれを包みこむギャクの応酬。シリアスと笑いの境界を自由奔放に行き来するエンタテイメント性あふれる作風が、熱狂的に観客に迎えられる。その後、2001年劇団結成20周年記念公演「ファントム・ペイン」にて、その活動を10年間封印。
2011年11月、30周年記念公演で活動を再開。

⇒第三舞台 詳細ページ

1981年 早稲田大学演劇研究会で、旗揚げ公演『朝日のような夕日をつれて』を大隈講堂裏特設テントで上演。
1983年 「朝日のような夕日をつれて'83」を池袋・シアターグリーンのウィンターフェスティバルで上演。
1984年 「宇宙で眠るための方法について」を下北沢ザ・スズナリで上演。
1985年 「朝日のような夕日をつれて'85」で初めての紀伊國屋ホール公演。
高田馬場・東芸劇場で若手番外公演「春にして君とわかれ」を上演。
「リレイヤー」を下北沢・本多劇場で上演。
「もうひとつの地球にある水平線のあるピアノ」を下北沢・ザスズナリで上演。
1986年 「デジャ・ヴュ'86」を紀伊國屋ホール/近鉄小劇場で上演。
「スワンソングが聴こえる場所」を下北沢・本多劇場で上演。
「ハッシャ・バイ」を池袋・サンシャイン劇場で上演。
1987年 「朝日のような夕日をつれて’87」を東京・名古屋・大阪・札幌で上演。
「モダン・ホラー特別編」を下北沢・本多劇場で上演。
1988年 「天使は瞳を閉じて」を紀伊國屋ホール/近鉄小劇場で上演。
1989年 「宇宙で眠るための方法について・序章」を紀伊國屋ホール/近鉄小劇場で上演。
「ピルグリム」をスペースゼロ/近鉄アート館で上演。
1990年 「ビー・ヒア・ナウ」をシアターコクーン/近鉄劇場で上演。
1991年 「天使は瞳を閉じて~International version~」をロンドン、エジンバラ、ベルファーストにて上演。
1993年 「トランス」を青山円形劇場・近鉄アート館にて上演。
1994年 「スナフキンの手紙」をアートスフィア/近鉄劇場で上演。
1995年 「パレード旅団」をPARCO劇場/近鉄小劇場で上演。
1996年 「リレイヤーIII」をサンシャイン劇場/近鉄劇場で上演
1997年 「朝日のような夕日をつれて'97」を東京・紀伊國屋サザンシアター/大阪・近鉄小劇場/札幌・道新ホール/福岡・大野城まどかぴあ で上演。
2001年 劇団結成20周年記念公演「ファントム・ペイン」を東京・大阪・福岡で上演。

その活動の10年間封印を宣言する。