2002.08.06

ごあいさつ  鴻上尚史

  今年の3月まで、僕は南烏山の6丁目に住んでいました。ある日曜の夕方、近くの公園でボーッとしていたところ、ふと、見覚えのある顔が前を通りました。
 一瞬、知り合いかと思い、しかし、そんな人はいないと思いなおし、あの男性は誰だろうと記憶のファイルをたどろうとした時、オウム真理教の広報担当者だと気付きました。童顔で、ハリー・ポッターに似た彼の顔は、日曜の夕方に思い出すには、不釣り合いな存在感がありました。
 『A』というオウムを撮った秀作のドキュメントがあって、その続編『A2』を見た直後でもありました。『A』も『A2』も広報担当の彼を中心にすえたドキュメントでした。『A』の中で、彼は、「自分が女の子の手も握ったことがないこと」だから「童貞であること」を恥ずかしそうに語っていました。そこまでのコメントを引き出した監督の手腕というか、関係性の作り上げ方に感動しながら、同時に、そんな無防備な発言を照れながらまじめにしてしまう彼の人間性が、妙に痛々しいとも感じました。
 目の前にいた彼は、女性信者と思われる人と二人、南烏山にあるオウム信者が大量に入居しているマンションに向かっていました。初春に近づき、緑が増した樹木を指さし二人は何かを語りながら歩いていました。
その風景はあまりにも平穏で、年老いた夫婦が街の中に咲く花をめでながら散歩している印象さえ感じました。いえ、老夫婦のたとえは適切でないでしょう。二人には、恋愛の匂いはしませんでした。ただ、長年の同志として、樹木の緑を鑑賞しているという感覚でした。
 いろんなモノを背負っているはずなのに、その風景はあまりにも平穏に見えました。世間の問題と内部の問題と地域の問題を毎日、抱えているはずなのに、緑を指さす彼の顔は本当に平穏に見えました。
 それは、自分の世界だけを追求する人に感じられる平穏かとも思いました。自分の世界だけを追求しようとすると、他のいっさいは捨てられるのだろうと思うのです。
 それは変な例えですが、受験勉強の平穏と安心にも似て、“やることがはっきりしていて”“それ以外やる必要はなく”“結果が必ず目に見える形で出る”という世界では、どんなに受験勉強そのものがハードでも、世界の奥底には安心と平穏があると思うのです。

 受験が終わって大学に入り、“今から自分は何に打ち込めばいいのか”“何をして時間をつぶせばいいのか”に迷い、それだけの理由で、もう一度、受験勉強を始めた人を僕は何人も知っています。彼ら彼女らの顔は、迷いのレベルから、充実した苦しみのレベルに変わっていきました。
 公園のベンチから立ち上り、平穏な顔を見つめる僕の隣には、僕が僕の人生の中で引き受けるであろう大切でやっかいな存在が、僕を見つめていました。不思議そうな顔をして僕を見つめていました。
その不思議そうな顔に気付き、なんでもないと微笑み、そしてもう一度、彼の顔を見つめながら、僕は、「あなたの平穏はフィクションだと思う。だけど、演劇なんぞをやっている僕は、フィクションを創ろうとしている。あなたのフィクションと僕のフィクションは、どこが違うのだろう?」と思っていました。
 と、別な視線を感じました。それは、警官でした。南烏山の6丁目では角々に警官が立ち、治安はかえって良くなったと軽口が飛んでいました。警官は、広報部長の彼をじっと見つめていている僕の顔を不審そうに見つめていました。信者を住民からの暴力から守るのも好むと好まざるとに関わらず、警官の仕事なのでしょう。僕は警官を見つめ、彼を見つめ、また警官を見つめました。警官もまた、僕を見つめ、彼を見つめ、僕を見つめました。それは、非常に演劇的な構図で、僕にはちょっとしたフィクションに感じられました。
 その時、僕の隣にいた存在が、僕の手を引っ張りました。僕はたぶん、“フィクションからリアルに引き戻されたんだ”と考えた方がいいんだろうと、とっさに考えました。
 さて、今回は、僕の大好きな安部公房氏の戯曲です。書かれたのは、今から44年前です。KOKAMI@networkの展開として、こういうのもアリだなと思ってチャレンジすることにしました。自分以外の日本人の戯曲を演出するのは、初めてのことです。
 戦後の話で物語の中に何度か「戦友」という言葉が出てきますが、僕は最初にこの戯曲を読んだ時に、「なにも戦争だけじゃなくて、『二人ともいじめにあっていた』とか『共に職場で同じプロジェクトにいた』とかの設定でも『戦友』なんじゃないか」と思いました。戦争にたとえられるハードな状況は今でも普通にあって、だからこの物語は成立すると思ったのです。
 池乃めだか師匠をはじめとして、僕が「う、うまい!!」と感動する人達に集まっていただくことができました。僕のこの幸福な気持ちが、あなたにも伝わればこんな嬉しいことはありません。
 このフィクションが、あなたにどんな感想をもたらすか、それは僕には分かりません。ただ、僕はフィクションとリアルの境界線を、越境し、たくましく往復する体力と熱意だけは持ち続けたいと思っているのです。たぶん、移動する境界線の存在をちゃんと感じること、それがそもそも体力の問題のような気がします。
 今日はどうもありがとう。ごゆっくりお楽しみ下さい。
 んじゃ。
(2002.5)


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