2002.10.28

INTERVIEW
(インタビュアー 谷田尚子 「ジ アトレ」Vol.72 からの全文掲載 )


富田靖子

鴻上さんがパーソナリテイを務めていたラジオ番組にゲストで出演されたことがきっかけで、第三舞台をご覧になったそうですね。
84年の「モダンホラー」です。14歳でデビューした翌年でした。終演後、鴻上さんに、「お前分かんなかっただろう」って言われて、悔しいと思いながらも「分かりませんでした」と答えたのを今でも憶えています。だってほんとに何が何だか分からなかったんですよ(笑)。
その頃の私は、映画の仕事と学校の勉強で精一杯で、舞台についてはまったく自分の視野の中に入っていなかったんです。だから、それっきりになっていました。次に第三舞台を観たのは、90年の「ビー・ヒア・ナウ」と91年の「朝日のような夕日をつれて」。この二つはどうしても観たくて自分で観に行ったんですよ。でも、残念ながら「ピルグリム」の初演は観てないんです。


「朝日〜」の頃は、富田さんにも舞台の経験があり、鴻上さんの作品に対する印象も変わったのでは?
「朝日〜」はとてもよく憶えています。「朝日のような夕日をつれて、僕は立ち続ける」というような台詞が、今でも心に残っています。精神的な意味で、舞台上の五人のように立ち続けたいなと思ったんですね。実はこの時、舞台を観ながら不思議な時間を過ごしました。台詞を聞いてストーリーを追っているんだけれど、頭の中では想像もどこかしら同時進行していて、自分の精神世界に入り込んでいるという・・・。

舞台の魅力に触れたという感じですね。
でも、当時は、その後もずっと舞台の仕事をしてゆくかどうか迷っていたんです。確かに舞台に出演していましたが、それは私にとって、「確実に映像とは違うんだ」という現実を突きつけられた体験だったんです。「朝日〜」を観て、やっぱり舞台俳優さんは、根本的な下地の部分で「体の筋肉が、発想が、想像力が違う」と。

色々な意味でハードル高い?
今でも高い、高い(笑)。今回の「ピルグリム」でも、鴻上さんの作品がどれだけ高いものを俳優に要求するかわかっていますし、鴻上さんは私のことを昔から知っていますから、稽古では容赦しないでしょうし・・・。それを考えると、「どうしよう」と。「すみません、市川右近さんに惹かれて、オファーをお受けしちゃいました」と、もう、そう告白するしかないですね(笑)

それがオファーを受けた理由ですか?
それに、鴻上さんからのお話なので、逃げられないような予感はありました(笑)。歌舞伎の方とは、これまでに何度かお仕事をさせて頂きましたが、やはり違うんです。何より立ち方が綺麗で、一瞬一瞬が、絵になるんですね。他にも学べることが多くて、「一緒にお芝居ができる機会があるならば逃がしたくない」とうのが正直な気持ちです。

今回は編集者の朝霧悦子役ですが。
まだ、台本を数回読んだぐらいですが、「愛のない理解より、愛のある無理解のほうがいい」とか、心に引っかかる言葉の多い作品だな、って思いました。自分の精神状態によって、胸に響く言葉が違うんです。鴻上さんのお芝居は、「何を伝えたいんだろう」と観客に考えさせるところがありますよね。それをつかめることがいいのかどうかは分からないし、つかめなくても、断片さえ捉えることができればオーケーだったりするのかもしれませんね。 私は、朝霧役の他に、作家の六本木実篤が空想する物語の世界の中で、何か被り物をしてでてくるんですね。それがどうなるのかなと、楽しみなところもあって。初演のようにペンギンだったら、「同じような紅いリボンつけてね」って思っています(笑)。

富田 靖子 Tomita Yasuko
1983年に映画「アイコ16歳」でデビュー。その後も映画、テレビ、CFなど映像を中心に活躍する。87年に「AC B」で舞台にもデビュー、その後、「飛龍伝、90」「赤鬼」、「Zenmai(ゼンマイ)」や「ガラスの動物園」など、話題作への出演が続いている。日本アカデミー賞、東京国際映画祭最優秀女優賞など受賞多数。現在公開中の映画「木曜組曲」に出演。また11月には大阪松竹座で舞台「華岡青洲の妻」に出演する。


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