2002.10.28

INTERVIEW
(インタビュアー 谷田尚子 「ジ アトレ」Vol.72 からの全文掲載 )


市川右近

鴻上さんとの楽しみな顔合わせになりましたね。
新国立劇場では、99年に出演した「子午線の祀り」もそうですが、いわゆる垣根を越えての仕事が多いですね。前は狂言界の野村萬斎さんをはじめとする方々と出逢い、今回は小劇場界をリードされてきた鴻上さん、それに映像でご活躍の富田さんたちとご一緒します。その中で、歌舞伎の手法が活きる時もあれば、邪魔になる時もあると思います。そうなると、自分で別の演技様式を身につけなければならなくなるでしょうね。それがまた歌舞伎に活きたりするのです。

第三舞台の芝居を実際にご覧になったことは?
申し訳ないのですが、観ていないんです。第三舞台が活躍した80年代は、僕は大学を卒業して学業との両立を終え、歌舞伎だけに専念して歩み始めていました。「これを僕は一生やっていくんだ」と、職業意識がはっきりと芽生えた頃ですね。スーパー歌舞伎の誕生、21世紀歌舞伎組の始まりと、僕には激動の時代で・・・・・。(笑)。だから、歌舞伎以外の舞台をあまり観ていませんでした。

では、今回が“鴻上ワールド”初体験ということですね。
はい。それで先日、(スーパー歌舞伎などの脚本家である)横内謙介さんに、「鴻上さんのお芝居に出させて頂くんですよ」と言うと、「いいじゃない。踊らされるよ」って(笑)。第三舞台の写真集を見てみたら、ほんとに踊ってる。これは「やばい!」と思いました。

今回、六本木実篤という作家を演じることになりました。
僕も、「なんで私にこの役をくださったのだろう」と不思議で、鴻上さんに初めてお会いした時、正直にきいてみたんです。そしたら、「作家ができるかなと思った」と。僕ってそんなふうに見えるのかな?僕の作家のイメージは、ほかの人とは違う次元から物事を眺めていて、世界を俯瞰で見ている人。それで、髪がボサボサだったりして(笑)。

富田靖子さんとのコンビが楽しみです。
そうですね。富田さんとはお互い十代の頃、放送局のエレベーターですれ違ったことがあるんですよ。彼女はまだ制服姿だったかな。「おおっ、富田靖子だぜ」と思いました(笑)。まさか、共演させて頂く日が来ようとは。

初めての現代劇、ご自分の中で期待するところも大きいんではないでしょうか。
これまで僕は、洋服を着て舞台に出たことがないんですよ。歩き方一つから緊張してしまいます。(笑)。このところ偶然にも、歌舞伎で自分の任とは違う役を頂いたり、あるいは、歌舞伎とは別の舞台作品へのお話を頂いたりと、別のフィールドに臨むことが続いているんですね。そうすると、普段の自分では気づかない自分を発見できるんです。例えば、この9月には、帝国劇場の「残菊物語」で、実際の僕とはかけ離れた役を演っていました。でも、演じながら自分と照らし合わせてみると、どこかその要素が自分にもあるんですよ。「単に、その扉を開けていなかっただけなのかな」って。そういう意味で、今回の六本木役も楽しみなんです。
 彼は、ユートピアを探して旅をしますよね。もしかすると、彼らと一緒に僕自身も、自分探しの旅をすることになるかもしれないなと思っているんです。新たな市川右近が発見できたらいいなと。


市川 右近 Ichikawa Ukon
日本舞踊の家元の長男に生まれ、1972年に京都の南座で初舞台を踏む。75年の大阪新歌舞伎座「二人三番叟」の附千歳で市川猿之助の部屋子となり、市川右近を名乗るようになった。90年に「義経千本桜・鳥居前」の忠信を演じたのを手始めに、スーパー歌舞伎、21世紀歌舞伎組、自主公演・市川右近の会などで、猿之助の当たり役などを次々に演じている。99年の「子午線の祀り」についで二度目の新国立劇場出演で、初めての現代劇に挑戦する。


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