2001.04.10

ごあいさつ

 「世の中には、どうしようもないことがあるんだ」ということを、最初に教えてくれたのは、僕の場合、“恋愛”でした。
 十代の後半、僕はどうやら、「ぶさいく村」に生まれたんだということを理解しました。自分で言いますが、遅い理解でした。高校時代、友人の恋愛を見ていて、その始まりがあまりにも違うので、どうしてなんだろうと考えているうちに、「あいつは『ハンサム村』出身なんだ」と分ったのです。
 この発見は衝撃でした。まるで、自分のことをオオカミだと思っていたのに、タヌキだったみたいな衝撃です。オオカミに育てられたタヌキの場合です。こんな場合が自然界であるのかどうか知りませんが、そういう場合です。
 合コンでも、「ぶさいく村」出身者は「ハンサム・美人村」出身者に比べて、圧倒的に不利な戦いを強いられます。「ハンサム・美人村」出身者は、「こんにちは」と自己紹介した瞬間がスタートですが、「ぶさいく村」出身者にとっては、「こんにちは」と自己紹介した瞬間が、終わりです。
 「ぶさいく村」出身者は、終わった所から始めなければいけないのです。
「終わった所から始める」。・・・まるで、終戦直後の日本のようです。
 と書きながら、僕は「ぶさいく村」出身であることをなげいているのではありません。「ぶさいく村」に生まれ、終わった所から始める戦いに勝つために、僕は言葉を獲得したのです。終わりを、始まりに変えるために、僕は言葉と知識とイメージを必死に獲得しました。
 「ぶさいく村」に生まれたからこそ、作家・演出家になれたんだろうと僕は思っています。もし、僕が「ハンサム・美人村」に生まれていたら、うれしくってうれしくって、本なんか読んでなかったと思います。もちろん、「ハンサム・美人村」出身の作家さんもいらっしゃいますが、僕はナンパに明け暮れて、ロクなモノにならなかったと思います。だから、僕はよくエッセーで、自分のことを「ぶさいく村」出身と書いているのです。
 と言いながら、この前、ある女性から「鴻上さんは『ぶさいく村』出身ですよね」と面と向って言われて、ムッとしてしまいました。直接言われると、はっきりと腹が立ちます。自分で言ったり書いたりするのは何でもないのですが、他の人から面と向って言われるとムカッときます。やれやれです。
 好きになってしまったら、どーしようもないだろうと思っています。好きになっちゃったんだから、のたうち回るだけです。「ぶさいく村」出身ですから、僕は、昔からよくのたうち回りました。本当によく、のたうち回りました。
「ぶさいく村」に生まれたもうひとつの利点は、のたうち回ることに“耐性”があるということだと思っています。
決して慣れることではなく、そのたびに死ぬほど苦しいのですが、それでも、耐性があるかないかは重要なことだと思います。それは、フルマラソンを生まれて初めて走るか、今まで何回か走ったことがあるかの違いのようなものだと思います。フルマラソンの最中は、ものすごく苦しいですが、何回か走ったことがあれば、マラソンの最中に死ぬ確率は減るのです。
 私があなたを好きなのに、あなたは私を好きじゃない。私があなたをどんなに愛していても、あなたは私のことを少しも愛していない。そのどうしようもない状態を、背負って生きるしかない時があります。
 「世の中には、どうしようもないことがあるんだ」
 そうつぶやきながら、生きていくしかない時です。
 じつは「ハンサム・美人村」に生まれても、恋愛の苦しみは同じなんだと僕は思っています。最初はどんなに有利でも、その後は同じなんじゃないかと。
 ま、これは「ぶさいく村」出身者の願望かもしれませんが、しかし、僕はそう思っています。
 問題は、「世の中には、どうしようもないことがあるんだ」とつぶやきながら、それでも、あなたを好きでしょうがない時。そして、つぶやきながら、生きていくしかない時。
 本日はようこそいらっしゃいました。『KOKAMI@network』第三回目の公演です。今回は『トランス』に引き続いて、ウェルメイドな作品を作ろうと意識しました。これでウェルメイドなのかと突っ込まれるかもしれませんが、僕の中では『トランス』に続いて、ウェルメイドです。
 「世の中にはどうしようもないことがあるんだ」とつぶやく時、それでも、このことを恋愛から教えられてよかったと僕は思うことにしています。
 身近な人の死とか、国家権力とか、差別とかではなく、恋愛が教えてくれたこと。
それは、ちょっとだけ素敵なことのような気がするのです。
 
 ごゆっくりお楽しみ下さい。では。
 鴻上尚史


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