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(1993.9.の取材記事)
三人芝居ということですが? | |
鴻上今回は、俳優達が、手軽に集まって上演できることを目指して書いた戯曲です。以前、年配の役者さんから「一度ウェルメイドを書いてくれ」と言われたことが、ありまして。確かに役者さんたちが集まって、自分たちでなにか上演しようと思うと外国の戯曲になってしまう。日本の座付き作家はそこ(自分のカンパニー)の俳優に当てて書いている部分がありますからね。 いろんな人たちが上演できる戯曲を、日本の劇作家はどうして書かないの?という役者さんからの発言 はよく判るんです。 |
それは、演劇の成り立ちかたの違いからくるものですかね? |
鴻上文学がまずあって演劇にいった国と、弁当ひろげてお気に入りの役者を観にいくことから演劇が定着した国との違いでしょうね。「千本桜」でね、静御前が義経との別れの時にずーっと泣いているでしょ。泣いているんですけど、突然、静御前がおどり出す(笑)。で、イアホンガイド聞くと「この場面では、静御前が微笑んでいる顔が見たいというお客さまの要望におこたえして、踊っています」っていう(笑)。なんてファンキーな民族なんでしょう(笑)。このいいかげんさはたいしたもんだと思いますよ。 僕が今まで書いてきた台本は、(自分の劇団の)役者のキャラクターと力量プラスそのひとつ上の事をそれぞれに要求してっていう作り方でして・・・それは座付き作者の宿命だと思って僕はやってます。でもね、僕の戯曲をほかのところでやってもらったのを見にいくと、「ああ、申し訳ないなあ」と思うんですよ。この俳優さんだったらこういうふうに変えたら面白いのになあって思うことがよくある。だから、今回のは普段やってるような「遊び」の部分は抑えざるをえないかもしれませんね。 |
(1993.9.21)
出演者が三人というのは?
鴻上三人ぐらいだと役者さんたちがあちこちで集まってできる最小単位ではないかと思いますんで。実験的な場所でも大きな劇場でもいいから、いろいろやれたらいい・・・それで、僕が役者を変えてもやってみたいし、ほかの演出家の人にも好きなようにアレンジしてくれって渡してみようとも思ってるんです。もちろん僕が書くものだから、いわゆる起承転結伏線に涙と笑いっていう芝居にはならないと思いますけどね。あるわかりやすさもあるんだけど、わかりにくさもあって、とそういうものになればいいと思っています。