スナフキンの手紙

第27回公演1994.7.1~7.10 大阪・近鉄劇場/7.15~8.28 天王洲アイル・アートス フィア


作・演出:

鴻上尚史


登場人物:出演


後藤田政志:

池田成志

氷川サキ:

長野里美

日本政府軍部下1:

小須田康人

部下2:

山下裕子

ジャーマネ・村松:

京晋佑

キャンディー・明石:

西牟田恵

山室実:

大高洋夫



恋愛王』というエッセーを雑誌に連載していた時に、読者の出せなかったラヴレターを供養しましょうという企画をやっていました。出せなかったラヴレター、受け取ったけれどつらい思い出でしかないラヴレター、そういうものを、僕が代わりに供養しましょうという企画でした。全国から、たくさんのラヴレターが集まりました。

たくさんの数を読んでいるうちに、僕はなんだかいやーな気持ちになっていました。それは、ほとんどのラヴ・レターが『素直になれない私』と『本当はこうしたかった私』について書いている文章だったからです。『どうしても素直になれない』から『本当はこうしたかったのに、ああしてしまった私』というミもフタもない要約ですべてがすんでしまうラヴレターがほとんどでした。

読みながら僕は、「ぬわにを甘えたことを言っとんのや!恋愛は勝つか負けるかやんけ!」と叫んでいました。いやーな気持ちになったのは、心の中で叫び続けて、疲れてしまったのです。で、それでも読み続けていくのが人生というもので、(たぶん、ここには、それが仕事というもので、とか、それが大人というもので、とかのフレーズを入れる人もいるでしょう)ずっと読み続けていました。

で、読み続けているうちに、じゃあ素直になったらどうなっていたんだろうという、これもまた、ミもフタもない感想がむくむくと頭をもたげて来たのです。したいようにしていたら、どうなっていただろう。それはつまり、そんなに簡単に「語られない言葉」を作ってどうするんだという突っ込みでもありました。簡単にというのは、もちろん、乱暴な表現です。恋愛は、周りから見て、どんなに滑ケイでも、いえ、滑ケイであればあるほど真剣なものです。好きになればなるほど、素直になれない気持ちはようく分かります。ようく分かりますが、それでも、僕は膨大なラヴレターを読んでいるうちに、そんなに簡単に「語られない言葉」を作ってどうすると、心の中で突っ込んでいたのです。

問題はこの後じゃないか。あなたが素直になり、心の中の言葉を語り、したいようにした時に、初めて、「語られない言葉」が生まれるんじゃないかと思ったのです。その恋が実ろうがだめであろうが関係なく。いえ、実ったら、だからこそ生まれるんじゃないかと思ったのです。

と、えらそーに言って、ハタと困惑するのはいつものことです。ですが、例えば、ものを創るということは、そういうことじゃないかと思っています。初めて、演劇の演出をするという人から、この前、アドバイスを求められました。
僕が言ったのは、自分のイメージをミもフタもなく説明するということでした。言うことはたくさんありますが、たったひとつと言えば、これです。中途半端に語ることが一番、誤解を生みます。中途半端に語り、あとは語られない言葉にまかすというのが、一番、混乱を大きくします。

「あなたは汚い」と「あなたは同じパンツを一週間はいているから汚い」とは、点と地ほどの違いがあります。恋愛上手な人は、決して、中途半端に「あなたは冷たい」とは言いません。「あなたは、~してくれないから冷たい」と必ず限定条件をつけます。ミもフタもなく語るのです。だって言われた方は、ただ「冷たい」だけだと、人格の全否定になるからです。中途半端に語ることが、混乱を生むのです。

ミもフタもなく語った後に、初めて「語られない言葉」が生まれるだろうと僕は思っています。だだ、これは日本人だけの特徴なのかどうか僕は断定できませんが、日本には『以心伝心』というやっかいな言葉があって、語らないで伝わることを美徳とする風習があるようです。ですが僕は『以心伝心』という言葉は願いの表現だと思っています。
人間はいかに『以心伝心』しないかを知っているからこそ、奇跡の一瞬を願う言葉だろうと思っているのです。『以心伝心』が、個人の人格を否定し、空虚な中心を持つこの国の共同体の絶対性を補完する言葉でないことを僕は願っています。

(略)

本当の「語られない言葉」は、戦いの後に生まれると思っているのです。
そして、その「語られない言葉」が、人生そのものになった時、物語は、「ファントム・ペイン」へと続くのです。

(鴻上尚史「スナフキンの手紙・ごあいさつ」)

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