リレイヤーIII

第29回公演1996.8.20〜8.26 大阪・近鉄劇場/9.3〜10.10 池袋・サンシャイン劇場

作・演出:

鴻上尚史

登場人物:出演


赤杜穂里夫:

大高洋夫

曽田徳康:

小須田康人

富樫篠明:

京晋佑

園方奈美:

長野里美

峰島つぐみ:

西牟田恵

菊千章:

松田憲侍

小原豊司:

稲葉暢貴

筒見かおり:

上野可奈子

真直祥子:

旗島伸子

三田平佐代子:

北岡綾子


『RELAYER III』ぴあ9/3号

第三舞台の前回公演「パレード旅団」。そのときのアンケートに”もう一度「リレイヤー」をやるまで、第三舞台を見続ける”というのがあったそうだ。「じゃあ、やったらもう観ないのか、というツッコミはあるんだけどね(笑)」とは言いつつ、鴻上尚史、まんざらではない表情なのでした。

’83年、早稲田の構内で初演された「リレイヤー」はのち’85年、本多劇場で改訂版が上演されたきり。よほどのコアなファンにしか観られていないといってもいい。鴻上自身が、またいつかやらなければいけないと繰り返し発言し続けた作品なのに、だ。「心理的につらい作品だからね。希望がない。答えもなく剥きだしに終わる。解散した劇団の話だし、演技とは何かがテーマだから、ぼくらにとっても生々しくて手に余ってた」その「リレイヤー」を三たび上演することに決めたのは、集団のありかたを、今ここで検証しておきたいという気持ちの表われだ。物語の軸となるその”劇団”は、解散してしまって今はない。劇団員は今やそれぞれの職業についているのだが、たったひとり、いまだに演劇をやり続けているメンバーがいた。物語は、もと劇団員のひとりが、この旅芸人を懐かしい町に呼び寄せるところから始まる。おれたちのこの町で、オマエの芝居を見せてくれと。

「ぼくらの芝居は、いつもコミュニケーションがテーマ。この芝居に出てくる劇団というのは、”濃密なコミュニケーションが求められる場”のたとえなんです。つまり、恋人なら、始まったばかりじゃなくて、1年以上たってる関係。仕事でいえば、誰でも代わりがきく業務よりも、チームが一丸で取り組むプロジェクトのような。ある濃密なネットワークに放り込まれている人なら、すごくリアリティがあると思う」

人間は、ぎゅっと濃密なコミュニケーションの場でも、単に軽いおつきあいの仲でも、絶えず、演技をする。「電車にのってる女子高生5人組がいるとする。誰かがひとり降りるとするね。ホームでそのコが手を振っている。オレはその0.5秒後の冷静な表情をつい見てしまうのよ。友だちになじめないなら、電車の中ですでにみんなとギクシャクしているはずなのに、今のコは、見事にその場では楽しいワタシタチを演じている。それは決して、悪いこと、ネガティブなことだとは思わない。だって、そのコは、仲いいふりをすることで、自殺せずにすんでるかもしれないんだよ。演劇人だけではない、日常にだって演技はある。だとしたらどこまでが演技なのか、そうでないのか。そもそも演技って何なのか」3度目の勝算ありと見た。「いや、切なくてイイ話になるんじゃないのかなあ(笑)」


●長野里美「今回の『リレイヤー』は前回までのものと、ずいぶん印象が変わってますね。

今回のはちょっと全体の構造が複雑になってるんですね。現実の人間は2人しか登場していないんです。それで、その人達が稽古場にいて、メンバーを待ってるんですけど、彼らは来ないんですね。なぜかと言うと、その半年前だか一年前に分裂してしまってて。で、今日、次の予定を立てようじゃないかという時に来ないんです。そこで、待っててもしかたないって読み出した昔の台本が、分裂の原因になってしまった『リレイヤー』という台本なんです。

その台本で語られる内容は、やはりその劇団の話なんですね。その中にも座付き作家が書いてきた台本が出てきて、その本がまた『リレイヤー』という。箱の中に、ちいさな箱があって、その中にまたちいさな箱が、というような構造になってるんですけど。そこを、今、稽古で立体的にわかりやすくしてゆく作業をしています。

舞台写真私の役は、役柄としてはなんていうか、プータローみたいな状態の人なんですが(笑)。『園方奈美』という役を、『園方奈美』が演じるという役なんです。で、その『園方奈美』は現実にはでてこないという役でして(笑)。

こうして喋っていることとか、まあ、これはインタビューですから、私もすこしよそ行きの気分が入ってますけど(笑)、ある意味ではこれも演じているということになりますよね。で、家に帰って家族と話したりするのが、ほんとの自分だと思ってる。
それで、電話がかかってきてなにか喋りはじめると、もう少し演技が入っているかもしれないですよね。ほんとはすごく疲れて話したくないのに、元気だよって喋ってるというそのことが、もう演技かもしれないんだけれど。そうやって喋っているうちに、なんかこれがほんとで、疲れてる自分がそうではないのかもしれないなんて思ったりしたこと、ありますよね。

鴻上が意図してることは日常の中にも芝居があるし、芝居の中にも真実があるっていうようなことらしいんですけども。やっぱり世の中が全体的にどんどん演技することがうまくなってきてるんじゃないかと思うんですよ。仮面をつけるとか、そういったはっきりしたことじゃなくて、ちょっとづつずらして行くっていうか。で、ほんとに自分はなんなのかってことが、よくわからなくなってしまったりして。なんかそういうのを舞台にのせたいんじゃないかなって、私は理解しているんですけど」


●京晋佑「今のところは、第三舞台のいつものスピードつけてバーッとセリフ喋るというのはないですね。稽古の今のところは、なるべくじっくりと聞いて通して喋るという仕方をしているもんで。ババババッと言い合う感じの仕上がりじゃなくなるのかもしれませんね。

今は稽古段階だから、まだわかんないですけどね。ただ、話が生々しいから、僕らとしてはそれをどういうふうに重たくならないように、軽くやるかなってのを思案しているところです。三角関係の中で、それはちょっとやばいんじゃないかな、とそこをなんとかしようと、明るく振る舞ったりして、いろいろ頑張ってるのが私の役という。調整役というか(笑)。

第三舞台の本当の話しではないですよ(笑)劇団関係の方は、ここんちは、こういう劇団なのかなと思うかもしれないし、一般的な方には劇団って、こういうふうになってるんだと思われるかもしれないですけどね。お金なくて、いるやつはいるやつとくっついちゃって、演出家が全部喰っちゃってとか、そういうふうに考えてる人多いモンね(笑)。その延長で見られるのかもしれませんね(笑)。

まあ、演劇関係の方も一般の方も、ほんとはあんまり大差ないと俺は思いますけどね。ただ、現実にはないにしても、たしかに扱ってるものは、ちょっと生々しいかなとは思います。実際には、どこの劇団もみんな特殊だし、みんな似ているんだと思いますよ。

芝居っていろんな方法論があって、どれが自分に合ってどれが合わないってのはあるんだと思うけど、どれがだめでどれがいいってのはないはずですからね。きちっと作ってるとこもあるし、すごーくいい加減にやってて、それでいい加減さがおもしろいってところもあるし、いろんなやり方がある。

それでもって、集まってる人間は全然違う人だけど、実はそんなにびっくりするような違った作り方っていうのはないんじゃないかという(笑)。

舞台写真第三舞台の場合は、昔から公演が始まったらバッと集まってきて、終わったらバッといなくなる、その繰り返し。年に2本3本やってたときは、なんとなく一緒にいた時間が長かったなという気がするけど、結局は公演のために集まって終わればバッといなくなってた。

鴻上さんは論理的な考えの持ち主で、昔から理詰めでくるんだけど、そのやり方もずいぶん変わってきているわけで。僕は、今はホームグラウンドにもどるというより、いち役者として鴻上さんのワールドに参加してるっていう感覚が近いです」

(聞き手/関西WALKER1996.8)


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