朝日のような夕日をつれて'91

第24回公演
1991.2.21→3.24 新宿・紀伊國屋ホール
※クローズドサーキット(東京)1991.3.24 スタジオ・アルタ

作・演出: 鴻上尚史

登場人物:出演


部長・ウラヤマ: 大高洋夫
社長・エスカワ: 小須田康人
研究員・ゴドー1: 勝村政信
モニター・ゴドー2: 筧利夫
少年・医者: 京晋佑

 


 『ローマの休日』のヘップバーンの台詞のようになりますが、それぞれの公演にたくさんの思い出があり、それぞれに忘れがたい。旗揚げのときに役者が男5人しか集まらなかったから、登場人物も男5人。最初は4人しか集まってなくて、少年役はもしかしたら僕がやることになるのかも、と思ってもいたので、登場量は少なくなっています。結局芝居をやめようと思っていた松富哲朗君をかき口説いて出てもらったんですが、「いいけど、本当に(出るのが)少ない役だよ」という彼の意向にも添うものでした。

 ある時、早稲田へ通う東西線の電車のなかで一心不乱にルービックキューブをやっている男を見ていたんです。そのうちに、その行為と僕らの物質はすべて原子からできているが、その原子がばらばらになって、気の遠くなるような時間を経た後に今と同じ分子配列が再びできあがる、というイメージが結びついた。それがこの作品の発端です。その後、我々がこの芝居をするのに合わせるかのように、ルービックキューブ・リベンジが出たり、TVゲームの流行の予感があったり、ファミコンのブームが来たり。そのたびに、骨格は残したまま、その時代に合わせて書き直しています。そういうことをして、初めて戯曲が生命を持つはずですから。

 83年に出た『朝日のような夕日をつれて』の戯曲集は僕の処女出版。83年の『朝日のような夕日をつれて』を観て興奮した弓立社の社長から、「今までの戯曲を見せてくれ」って電話がかかってきましてね。劇団員全員が僕の家に泊り込んで、書き込みのいっぱいあるガリ刷りの台本を原稿用紙に書き直し、それを風呂敷に包んで持っていきました。初版は千部。そのうち五百部が原稿料でしたから、それを持って親戚中売って歩きました。最終的に、83年度版の『朝日のような夕日をつれて』の戯曲は二万部くらい売れました。でも初版が親戚の押し入れにしかないと思うと不憫ですね。83年度版はちょっと古くなったので、91年度版を出しました。

(鴻上尚史)

 


 
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